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2012年7月11日水曜日

京都南座 坂東玉三郎 特別公演

6月の南座で玉三郎が歌舞伎女形の大役の中でも屈指の難役と言われる「阿古屋」を4年振りに上演すると言うので早速歌舞伎好きの友人と出かけました。









「阿古屋」とは、源平の時代に源頼朝の命を狙う平家方の悪七兵衛景清の恋人だった傾城の名前です。劇中、景清を捜す源氏方の武士に拷問に掛けられ、景清の所在を白状するよう責められる場面で、自分が知らない事の真実を証明する為に、琴・三味線・胡弓を次々に奏でて心の清んだ潔白を見せる、と言う設定です。しかしこの3つの楽器を巧みに弾けて、しかも同時に複雑な心理描写を表情・仕草で表して見せられる役者はそうは実在しません。名優 故 中村歌右衛門丈はこれを得意としていました。そして歌右衛門が「阿古屋」が唯一演じられると後継を託したのが玉三郎です。現在は玉三郎の他に「阿古屋」を演じられる役者は育っていません!

傾城(花魁=遊女)ですから、姿形が美しくなくてはいけません。そして役柄から、儚(はかな)さと同時に命を賭した、凛とした風情を漂わせなくてはなりません。しかも演技しながら琴を弾き、三味線を弾き語り、胡弓も美しい音色で奏でます。当代で演じられる役者は玉三郎しか居ないので、「阿古屋」が出る時は大人気!入場券はプラチナチケットとなります。



当日6月18日(月)は幸い曇で、東京-京都日帰りの旅なので、ハンドバッグだけを持ち軽装で出掛けました。公演は15:00で、「壇ノ浦兜軍記」(阿古屋)と舞踊の「傾城」です。

南座ロビーの玉三郎のパネルの前で、御一緒した友人と3人で。

化粧した玉三郎丈が余りに美しく、側で写る私は恥ずかしいですね~。

歌舞伎好きの私ですが、実は京都南座は初めて!

東京の歌舞伎座より小さいですが、内装を替えて日が浅いのでしょうか? 四条祇園を徘徊する時、南座の前は必ず通るのですが、外観の古さに比べ中の様子は新しくきれいでビックリ。

さて、上演中は勿論撮影禁止。それはそれは美しい玉三郎でした。劇場内で同時に「玉三郎 ”美”の世界展」を開催していました。玉三郎の当たり役のパネルと本物の着用された衣裳の数々が展示されていて、その衣裳の豪華さは息を呑む程! 圧巻でした!!

凝り性の玉三郎ですから、生地も刺繍もデザインも全て可能な限り、その分野で当代随一の技能者ばかりに頼んで製作してもらっているので、舞台衣裳を超えていました。

「伽羅先代萩」の正岡

正岡の豪華な打掛

その刺繍の技の豪華さ! 全面総刺繍です。

同じく「伽羅先代萩」の正岡

これが帯地より大変です!

「阿古屋」の玉三郎の立ち姿。

「籠釣瓶花街酔醒」の八ツ橋

その傾城の帯

「助六」の揚巻

その傾城の帯

「傾城」の傾城

その着物

「熊野」の熊野

熊野の唐織

「助六」の揚巻

揚巻の打掛

「信濃路紅葉鬼揃」の鬼女

その唐織

その他に玉三郎が公演ごとに楽屋に持ち込む豪華な鏡台セットの展示がありました。

鏡台には豪華な漆と螺鈿で細工がされています。

実際に使用している玉三郎。

鏡台の上には化粧道具が色々。普通の化粧道具とは全く違っていました。

これは中国公演の時の衣装

終演後、裏地桂子さんの紹介の「三多」で美味しい京料理を頂き、家路に付きました。






2012年7月8日日曜日

2012年 軽井沢 ルバーブ会

写真はクリックすると大きくなります。


今年もテケ(久住多賀子さん)の快適な軽井沢の別荘で、ルバーブ会合宿が催されました。7月6日(金)~8日(日)の二泊三日で、これも例年通り。メンバーは会主のテケの他に、今尾範子(のり子ちゃん)、岡和子(カッコちゃん)、磯部陽子(イソちゃん)、田島洋子(ヨーコちゃん)、林江利子(エリ子ちゃん)、加藤史子(ワンちゃん)、深井邦子(クーちゃん)、鈴木美津子(ミツコちゃん)、米澤邦子(クロちゃん)、清水昌子(マッちゃん)の11人です。

八雲の清水宅前に18:30に集合して、3台の車に分乗。雨中、環七から関越自動車道、上信越自動車道を経て軽井沢へ。到着は21:30頃。運転はテケ、ワンちゃん、クーちゃんが引き受けてくれました。

ワンちゃん運転の車は何故か1時間遅れて22:30到着。ウフフ、それには深い経緯(いきさつ)有り。ミツコと昌子と3人が乗ったマツダ・デミオ。話が弾んで豊玉陸橋手前で左折を見落とし、埼玉県和光市まで直行。「和光市…?!」 そこから環八で谷原の交差点まで戻り、更に激しさを増す雨の中、関越そして無事上信越の分岐点も見落とさず順調な走り。ルバーブ会が御殿場に移る前年の軽井沢ルバーブ会の時は話に夢中になって草津まで行ったわね~。そんな出来事も今は昔。今年は話が弾んでも二度も同じ間違いはしません。安心して昌子は仮眠。さぁ~、上信越道もナビ通りインターを降りて、もう後は18号バイパスまでわずかな道のり♪ でも変ね~、碓氷軽井沢インターにこんな電気街があったかしら? 眼を覚まして不思議がる昌子に「ナビが佐久平で降りろと言うから降りたわ」とワンとミッコ。「佐久平って軽井沢の先よね~~~」 佐久平から軽井沢へと未知の世界を漆黒の夜道をひた走り。ワンちゃんが中軽の表示と塩沢交差点の標識を見つけて俄然元気付き、18号バイパスに戻れたと自慢げ。でもテケの別荘の目印が全て消灯していてわかりません!! 携帯でテケを呼び出し、雨中で遭遇に成功!! 大宴会たけなわのテケ家に空腹を抱えて辿り着き、深夜2時まで豊富な食糧を前に尽きないおしゃべりで盛り上がった第一日でした。

例年は好天に恵まれ、軽井沢独特の雑木林に囲まれたテラスで、新鮮な野菜のサラダ、美味しいミート類、手作りのパン色々、その他主婦のキャリア充分の仲間が持ち寄った得意料理の数々で太陽のまぶしい、さわやかな朝食から始まる2日目なのですが、今年はあいにく霧雨の舞う曇天。でも朝食の豪華さは例年通り。






9:24スタートのゴルフ組と足の向くまま、気の向くままの散策組に別れて今日は行動。激しい雨になる前にラウンドをサクサク終わらせたいゴルフ組(テケ・ミッコ・昌子)は一足お先に三井の森GCへ。カートで定刻通りINからスタート。テケが昨年と見違えるほどのゴルファーらしいスイングでクラブを振り切り、午前中は各々がそれなりのスコアーで楽しくラウンドを終了。途中20分位雨に降られても楽しさは変わらず。昼食は50分休憩で豪華なバッフェランチ。¥14,800(カート、税 全て込み)で朝食、昼食、アフタヌーンティー、夕食とこの三井の森は食事食べ放題のお得プランでした。昼食には和洋の他に韓国フェアの特別料理がありました。アフタヌーンティーはちょっとしたビールのおつまみとサンドイッチにカレー、パンケーキやプロフィットロール(シュークリーム)等のプチケーキとドリンクカウンターにジュースと紅茶、コーヒー類。お風呂にゆっくり入って16:30まで過ごしましたが、カメラを持たずに来たので写真が一枚も無いのが残念。


散策組の様子はワンちゃんから写真と説明文を、範子ちゃんから写真を頂きましたから、それを元に収穫大の一日をお伝えしましょう。

軽井沢は雲が垂れ込め、今にも降りそうな一日でしたが、2台の車に分乗して上信越道を西に向かって上田菅平出口で降りた散策組は上天気に恵まれた快適な一日だったようです。

まず訪れたのは上田市内の「無言館」

修道院を思わせるようなコンクリートの建物でした。

「無言館」は第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて1997年(平成9年)に開館した美術館で、館主は窪島誠一郎氏。水上勉が23歳頃に生き別れた息子で、彼の父親捜しの執念で30年以上経て劇的な再会を果たした事でも名前が知られています。その窪島氏が出征経験を持つ画家の野見山暁治氏と共に全国を周って戦没画学生(主に東京美術学校・現在の芸大)の遺族を訪問して遺作を蒐集しました。2008年には無言館第2展示場「傷ついた画布のドーム」もオープン。

無言館は「熊野古道」の帰りの新幹線で範子ちゃんとワンちゃんが「いずれ行きたい」と話し合っていた念願の場所。志半ばで戦場に散った画学生達の残した絵画や作品、イーゼル、家族に宛てた手紙や愛用のパレットなど、展示されていて、ワンちゃんの感想は「才能ある画家達が戦争の犠牲にならなかったら大成した人達がどれだけ居たでしょうか? 戦地で散った人達、戦地で病死した人達、病気で故郷に戻り亡くなった人達の無念さが伝わってきて胸を締め付けられる思い…」でした。

無垢な作品を鑑賞した後の清々しい顔々。

絵の具をぶつける愚挙に胸が痛む…? 人間の思いは立場によって千差万別と言う事でしょうか。

次に訪れたのはクロちゃん御推薦の国宝のある別所温泉の安楽寺。

これが国宝 八角三重塔。
国宝の由縁は、1290年頃(13世紀末)の禅宗様式で造られている塔で、日本最古。しかも現存する唯一の八角塔である為で、昭和27年、松本城と共に長野県内最初の国宝指定を受けました。四重に見える一番下の屋根は廂(ひさし)に相当する裳階(もこし)。

安楽寺が歴史上裏付けられるのは鎌倉時代。信濃出身の臨済宗の僧 樵谷惟仙(しょうこくいせん)が開山で、13世紀半ばに宋に留学し、鎌倉建長寺を開山した宋の禅僧蘭渓道隆と同じ船で日本に帰国しました。

鎌倉時代の安楽寺は北条氏の庇護を得て栄えたが、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみ。天正8年(1580年)、16世紀末再興され、以降曹洞宗寺院となっています。

赤松林の階段を登った先の新緑の中に建つ国宝三重塔。

安楽寺 山門。

安楽寺に至る道ばたにはお地蔵様も。

別所温泉街で軽く全員「ざるそば」をランチに頂く。今晩の豪勢な夕食を考えて「お昼は軽めに…」との事。前後の見境無く、食事攻勢の三井の森の戦略に乗って食べまくったゴルフ組とは大違い!

信州はお蕎麦の名産地。さすがに光って美味しそう!

食後は温泉組(カッコ、クーちゃん、洋子ちゃん、イソちゃん)と観光組(ワンちゃん、範子ちゃん、江利子ちゃん、クロちゃん)に別れて行動。温泉組は1人150円(安すぎる…?!)の入浴料を払って村の共同浴場へ。最初から温泉を期待してMYタオルは持参したけど、まさかその他の設備は何もないとは…!! 仕方なく湯船に浸かっていたら、見かねた村の親切なおばさんが石鹸を貸してくれて、やっと皆で背中を洗いっこしたとか(笑)。

観光組は上田に御主人と来訪した経験のあるクロちゃんが再び御推薦の「生島足島神社」へ。

「生島足島神社」は日本の中央にあるとされ、太古より日本総鎮守とも称される古社。

折しも結婚式を挙げているカップルも居て、境内は観光客で賑わっていた由。

こちらが観光組の面々。

この神社は、皇室や武将の祟敬が篤く、北条国時が社殿を営繕、真田昌幸、信之等が神領を寄進し、社殿を再建した。又、国の重要文化財となっている武田家臣団(237名)が信玄への忠誠を誓約した起請文(きしょうもん)の内、83通が現存している。日付は1566年8月23日付けが3通、翌1567年8月7日付けが72通、8月8日付けが8通。当時武田家には二大事件があり、1つは信玄の嫡男 義信が甲府で幽閉されて自害した件と、越後の上杉謙信との川中島合戦に際しての戦勝祈願の為と、歴史を振り返ると、武田家には、家臣団をまとめなければならない意図があったとか。

御神体は日本の中央である「大地」であり(ワンちゃん曰く、「おへそ」)、内殿には床板が無く、大地そのものが御神体として祀られているはずで、クロちゃんが最初訪問した時はそうなっていたのが、今回は本殿の建物の中に厳かに囲まれて見ることが出来なかったそうです。

境内には樹齢800年の二株の奇妙な姿をした「夫婦欅」があり、夫婦円満、子宝安産の御神木とされている、と辞典には書かれていましたが、現在は一株の様で、その古木の洞の中に「夫婦円満」「子宝安産」を生み出す「もと」が祀られていた様で、以下の写真はその正体をつぶさに見た時のクロちゃんのリアクションです。



上田は上天気だったのに、再び上信越道を小諸を過ぎて幾つかのトンネルを越した辺りからザザ降りの雨となりましたが、温泉組も入浴の後、「生島足島神社」を観て別荘帰宅。

夕食は予定通り豪華なものでした! 二日目も夕食後のお喋りに花が咲きました。

3日目はいつものように全員で掃除をし、近所のフランス料理の名店 シェ・SOHMAで送別のランチをするのがお約束ですが、それまで時間があるので、この業界古株のカッコ先生が「無料」でハワイアン・フラダンスの講習をして下さいました。先生の教え方は本当に上手で、ベテランの術を堪能しましたが、生徒の方がね~~~。




こちらが軽井沢では有名なシェ・SOHMAでの送別ランチ会。

全員で記念撮影。

アミューズの なす(又はズッキーニ) とカツオのフランススタイルのタタキ

前菜の カニを詰めたトマトのファルシー

スープは とうもろこしの温スープ

魚料理を選んだ人は 鮭のグリル トマトソース

肉料理を選んだ人は 地鶏のグリルを色々な夏野菜のローストと共に

デザート。 一番人気はミルク瓶に入ったカラメルプリン

レストランの室内は雰囲気があって素敵でしたよ。

シェフから御挨拶を受けて

今年のルバーブ会も楽しい楽しい合宿でした。テケお母様、お招き有難うございました! そしてお疲れ様でした。 来年はもっとマメに写真を撮りましょう。