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2012年3月5日月曜日

また会 「お伊勢参り」 その① 外宮


江戸時代から日本人の心のふるさとと言われ、一生に一度は「お伊勢参り」をしたいという願望が日本人にはありました。そんな気持ちが一致して1月17日、「日帰り」のお伊勢参りに出掛けました。今回の幹事は私。「行きたい」「行きたい」と思っている割りには「伊勢神宮」の事を何も知らない4人組。そこでJTBの「伊勢参りセミナー」を受講したり、婦人雑誌で毎年お正月号には取り上げられる「伊勢特集」を読みあさって何とか日帰りでもお参りの甲斐のあるスケジュールが出来ました。



伊勢神宮は日本の総氏神様である天照大神(あまてらすおおみかみ)が鎮座されている皇大神宮(内宮/ないくう)と、その500年後に衣食住及び産業を司る豊受大御神(とようけのおおみかみ)が鎮座された豊受大神宮(外宮/げくう)の2つの正宮から成っていて、参拝は外宮から始めるのが正式です。しかも食事を司る神様の近くで食すると御利益も更に増す、と言うことで、いつものまた会旅行は車中のお弁当がお約束でしたが、今回は7:40品川発の新幹線で出発して名古屋から近鉄特急に乗り換え、昼前に外宮に一番近い「伊勢市」駅に到着する事にしました。

伊勢名物と言えば「伊勢うどん」。

「伊勢うどん」は初めてで、太いうどんに濃い汁が絡めてあって、いわゆる「ぶっかけ」です。京都の出汁がたっぷりかけてあるうどんとは違いますし、味付けは甘めです。


伊勢市の河崎町にある「つたや」がこの地の老舗として名高いので、こちらで名物「伊勢うどん」を頂きました。 

「つたや」で一番人気の焼き豚(5時間かけて作ります)うどんを頂きました。自慢の焼き豚はとろける様で絶品でした!そして安い! ¥600。
河崎町は蔵屋敷の並ぶ古い商家の街並みが保存されている地区です。江戸時代から勢田川の水運を利用した問屋街で、「伊勢の台所」とも呼ばれ伊勢参拝客をもてなす街として賑わいました。現在は陸運が発達して往時の賑わいはありませんが、川沿いの1kmは古い蔵を利用したカフェやショップがオープンし、新しい観光名所になっています。



昔の面影を残す河崎町の勢田川沿いの街並み。





その後、又タクシーで外宮の側の「鳥重」(これも婦人画報御推奨)という菓子匠 に立ち寄りました。
渋皮栗を丸ごと1粒黄味餡でくるんだ薯蕷饅頭「きらら」を電話予約しておいたので、お土産に受け取りました。
このお店は薯蕷饅頭の美味しさでは定評がある様ですね。帰って食べたら実にしっとりして家族も大喜び。



お参りを計画した時は、一番高貴な日本の大元の神様をお参りするから、「正装」で、前日から身を浄めて、私語は慎み、神様のスピリチュアルパワーを沢山頂いてきましょう、と話していたのに、食べ物の特集を雑誌で見たらもう心はそちらへ・・・(笑)。豊受大神宮は食の神様ですから、きっとお許し下さるでしょう。




いよいよ外宮に参拝致します。

ここが表参道の入口です。

「火除橋(ひよけばし)」です。この世と結界を結んでいます。

東京から古いお守りを持参したのでお返ししました。きちんとこういう場所を設けて下さっているのは有難い事です。

手水舎で作法に従い手と口を浄めます。

1月は初詣の人が多く、例年この時期、伊勢神宮は混雑するそうです。 

御正殿に向かう途中で北御門参道(きたみかどさんどう)と合流する場所に神楽殿とお札やお守りを授与する大きな建物がありました。


お巫女さん達も清らかな顔をしていらっしゃいますね~。いつもスピリチュアルパワーの中に居るからでしょう。お札とお守りを求めました。その為にはるばる参りましたからね~。

この鳥居をくぐれば御正殿(ごしょうでん)です。

この白い幕の内側に唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)の御正殿がありますが、時々風でめくれる白い幕から遙かに参拝します。


正式な拝礼は腰を90度に折って二拝(お辞儀をする)、そして最初に手を合わせて右手を少し下げ、二拍手(手を打つ)する。そして最後にもう一度深々と一拝(お辞儀)をする。御正殿礼拝の後、境内の別宮も参拝。



「風宮」です。元寇(げんこう)の乱(蒙古襲来)の時、神風を吹かせて日本をお守り下さった神様です。

伊勢は底冷えのする寒い場所ではありますが、雪は降らない土地柄だそうです。しかし前日に珍しく雪が降ったそうで、こんな姿の社が見られるのは大変稀なことでラッキーだったのです。

北御門参道(きたみかどさんどう)に出る手前に御厩(みうまや)があって、神馬が元気に居ました。

名前は「笑智号」、毎月1日・11日・21日の朝8時頃、鮮やかな衣裳を身にまとった神馬が堂々と参道を歩いて正宮にお参りするそうです。これも「神馬索参(しんめけんざん)」と言って、年間1500もある神宮で行われる祭事のひとつです。


観光バスのプールになっている北御門参道からもお参りする人々が居るので手水舎があります。どちらから入っても御正殿に居たる途中に幾つかの鳥居がありますから、頭を下げくぐり抜けます。くぐったらそこは結界ですから、心を神様と通じさせるように静かに心を集中させます。


また会 「伊勢参り」 その② 内宮



外宮から内宮へは天皇陛下が御参拝の時にお通りになる、灯籠が並ぶ「御幸道路」をタクシーで走ります。約7km、15分の道程です。


陽のある間に内宮に着きました。五十鈴川に架かる宇治橋鳥居の横の縁起の立て札の前で記念撮影。陽のあるうちにお参りしなければなりません。夏は午前4時から、冬は午前5時半に開門です。神様にお参りするのはそれ程に早い方がよろしいのです。そしてどんなに遅くても陽の傾く前の午後3時までには済ませることが御利益を頂く為に必須です。

こちらが宇治橋と外の鳥居です。静けさを期待して来ましたが、初詣の1月ですから、火曜日でも御覧のような人、人、人。橋手前の鳥居は20年ごとに建て替えられる外宮の旧正殿の棟持柱。渡り終えたところにある鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱。そして次の20年遷宮の時、関の追分けと桑名の七里の渡しの鳥居になるので、この2つの宮の正殿の棟持柱は60年のお勤めです。鳥居の高さは7.44m。
昨日の雪がウソのような青空!まぶしいほどです。 

有名な「宇治橋」ですから、沢山記念写真を撮りましょう。 

橋を渡る人混みの中にこんな方を見かけました。

美しい宇治橋の長さは1018m、巾は8.421m。それに16個の擬宝珠(ぎぼし)が乗っています。実はこの橋、来年(2013年)迎える第62回御遷宮の4年前に架け替えられるのがお約束事で、だから3年前に新しくなったばかりなんです!橋板の厚さは15cm。20年間風雨に晒されても1つの狂いも出ない仕上がりです。

橋から眺める清らかな五十鈴川と伊勢神宮の森。この擬宝珠(ぎぼし)の中には3年前新しくなった宇治橋の渡り初めの神事が執り行われて、その時のお札が納められています。 

橋を渡るときれいに手入れされた神苑が続き、玉砂利の道を手水舎へ向かいます。

御参拝の前に手と口を浄めますが、普通の手水含の他に五十鈴川原の御手洗場(みたらいば)があります。徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院の御寄進と言われる、五十鈴川を利用した石段の手洗場です。


鯉の稚魚が沢山居ました。

やがて御正宮へと千古の杉木立がうっそうと繁る玉砂利道を登っていきます。

途中に御饌殿(みけでん)や神楽殿があります。

こちらは神楽殿。

お札やお守りを授ける神札授与所は大忙し!

こちらが御正宮です。

皇大神宮にお務めする庭掃除の方が写真を撮って下さいました。

アップにしてみましょう。

この鳥居の奥にお垣内とも称される幾重にも垣根で囲まれた唯一神明造りの正殿がありますが、撮影は禁止。この石段の下からしかシャッターは切れません。

さて、現在の御正宮の隣に同じ広さの式年遷宮御敷地(しきねんせんぐうみしきち)があります。

式年遷宮とは、20年に一度、内外両方の正宮の正殿を始めとして別宮以下諸神社の正殿も造り替えして神座を遷し、宝殿、鳥居、御垣、御饌殿等、計65棟の殿舎と言った全社殿を造り替えます。その他、714種、1576点の御装束、神宝も新調します。全てを造り替え、その美しさを保ち続け、神宮は「常若」、永遠のみずみずしさを目指しています。コレを定めたのは天武天皇で、持統天皇(690年)に第一回が行われました。以来1300年の長きにわたり続けられ、平成25年に第62回目の式年遷宮で新しい社殿に御神体をお遷り頂く(御神体の渡御)が予定されています。


第62回式年遷宮の準備は平成17年からスタートして、この様に新御敷地では、白布に覆われた中で造営は既に始まっていました。

これは平成5年のもの。私達が遙拝した御正宮が手前で当時は新品だったのです。


この宇治橋もその一環として平成21年に新しく造り替えられました。この橋の右隣に仮橋が造られ、古い橋が解体され、同じ場所に新造されました。内宮は橋を渡るのに右側通行ですが外宮は左側通行なんです。何故でしょうね~?




出口に近く、第2の鳥居の側に御厩があり、中に内宮の神馬がいました。


こちらは空勇号。


宇治山田駅からバスで「神宮徴古館」へ行くと、過去の御装束や神宝等、その匠の技を鑑賞する事が出来るそうです。
平成24年4月には外宮に「遷宮館」が開館予定で、遷宮に関する資料、御正宮の原寸大模型、式年遷宮を映像で見られる遷宮シアターなどが設置されるそうです。