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2012年11月29日木曜日

2012年 紅葉の茶会 @京都 蘇鉄庵

今年も京都の水守清隆様より蘇鉄庵での紅葉の茶会の御手紙を頂きました。

御手紙 クリックで大きくなります。


蘇鉄庵さんは祇園八坂神社の裏手の坂を登り切った場所にあり、入口に大きな蘇鉄が植わっている風雅な茶室です。

食事を供される広間では雪見障子を上げると一幅の絵の様な紅葉の美しさを眺めることが出来ます。
毎年、桜の季節と紅葉の季節にお招きを頂きますが、私の茶道人生の中でこれ程完璧な茶事を催される御亭主の茶会は水守様の茶会以外経験がありません。家元の東京道場の新年初釜の茶会も、秋の京都の光悦寺の茶会も、これ程濃密ではありませんでした。周囲に家がないので静まりかえる茶室で、炭手前から始まる粛々とした雰囲気はやがて茶懐石、そして濃茶、薄茶、と3時からスタートして7時半頃まで楽しく、美味しく、暖かく、そして素晴らしい茶道具に包まれて終始凛として続きます。

11月29日 東京駅発12時の新幹線で京都へ向かいます。
その日は素晴らしい秋晴れで、富士山がスッキリクッキリ美しく眺められました。

今年の冬は例年より冷えて富士山も真っ白い雪化粧です。

富士山は横浜から現れて色々な角度で姿を変えて見せてくれます。

やはり裾野まで美しく眺められるのは富士川の辺りまでですね。

そして2時14分に京都に着き、待っていて下さった裏地桂子さんやむっちゃんマダムと合流。タクシーで八坂神社の上を目指して行きます。

桂子さんと蘇鉄庵の外の待合いで記念写真

今年は例年より紅葉の持ちが良く、色も美しいでした。

今日のお相客。いずれがあやめ、杜若?皆様大和撫子でお美しい!!
小間で炭手前を拝見した後、すぐ上の広間で御食事。
どこを眺めても今はもみじ、もみじ、もみじ…。
食事の前の記念撮影をさせて頂きました!

いよいよ京都で名高い辻留の茶懐石料理がスタートしました。

一口の汁と一口の御飯と、そしてお酒が供されると頂く向付け(この日は王道の鯛でした)の後に
煮物椀が出されました。
上品な、中心に紅を差したおちょぼの様な葛で包んだ白子だったと思います。
出汁の旨味と葛の濃度が抜群で本当に美味しく頂きました。


お椀は絵替わりの鳥類の模様で、正客の私には豪華な孔雀でした。

色々な鳥類が素晴らしい写実性と優れた意匠性、そして金を盛った繊細な漆の技法の見事さに一同感心しきり。

焼き物は勿論「王道」の真魚鰹の西京焼。

煮物は海老と湯葉にたっぷりの柚子を添えて。
海老の旨煮も出来たての濃厚な汲み上げ湯葉も実に見事でした!

酢の物。あおやぎと昆布〆の平目に春菊や菊花を切りゴマ酢で和えて。

和え物はさっぱりときのことちしゃ軸とのみぞれ和え。
スッキリしたお味でした。

今日の御亭主は清隆氏ではなく、御長男の方でした。
お若いのに良く勉強されて、説明も丁寧で分かり易いので私達には好評でした。

今日の八寸はからすみと銀杏。
どちらも濃厚で冷酒が美味しく頂けました。

最後に湯桶でお椀をすすぎ、香の物でサラサラ御飯を頂きます。

皆さん「満足!」の笑顔です。

これから茶室に移り、濃茶と薄茶を頂きます。
まず主菓子を頂いて。
特注の出来たての和菓子で、山芋で作ったカルカン饅頭の様な外皮がしっとりとして美味でした。

3時からスタートした茶事も懐石が終わる頃はとっぷり日も暮れて静かな闇の中です。

茶室でのお手前はカメラ撮影が禁じられていますが、ローソクの灯りと鉄釜から滾る蒸気のシュッシュッという音のみの昔通りの茶席の静かな佇まいに、本当に心が解放される思いで一服のお茶を楽しみました。










2012年11月9日金曜日

金比羅詣りとこんぴら歌舞伎@香川県琴平町

「また会」。(通称ワンちゃん、のり子ちゃん、テケ、まっちゃんの竹馬の友4人組)の秋の旅行を11月8日、9日の一泊二日で挙行する事は決まっていましたが、どこにしましょうか…と考えていた時、テケからの耳より情報がメールで飛び込んできました。以前から行きたいと思っていたこんぴら歌舞伎(正式名称:金比羅大芝居)の公演が丁度予定していた日にある、しかも劇場が江戸時代の歌舞伎小屋なので収容人数が少なく、何度試みても席が確保出来なかったのに、今回はJTBの100周年記念の貸し切り興業なので、JTBに申し込めば宿とセットで席も取れる、との事。しかも演者は坂東玉三郎と人気の鼓童。この二組のコラボは以前に三軒茶屋のキャロットタワーで観て、とても感動したので話はすぐ決まりました!早速JTBに連絡すると「ひらば」席は売り切れているけど一階の桟敷席は取れるとの事。何と幸運!!


旅程表。クリックすると大きくなります。

旧金比羅大芝居のポスター。

切符の袋


朝 7:50発JALで高松空港に到着。テケのホッとしている顔を御覧下さい。
マイカーで来た湘南組は拡張した羽田で迷って飛行機のドアの閉まる直前に飛び込んだそうです。
高松空港に今立っている事が奇跡!!

そして旅程表通り、高松空港に迎えに来てくれたシャトルタクシーで一路琴平町の琴平グランドホテルへ。金刀比羅宮の表参道の22段目のすぐ脇に位置して、しかもこんぴら歌舞伎の劇場である「金丸座」の隣という便利さ!こんぴら温泉華の湯「桜の抄」と別名を付けていて、確かに大浴場の露天風呂には色とりどりのバラの花を浮かせていましたっけ。

桜の抄



桜の抄の玄関前で。

更にその玄関前の道は「金丸座」へと続いています。

これはホテルのロビー。到着したのが10:00頃だったので、14:00までチェックイン出来ませんから、荷物だけ預けて早速金刀比羅宮にお詣りに。

歌舞伎見物の15:00まで、たっぷり観光の時間があります。JTBから無料讃岐うどんクーポンや、名物灸まん(伊勢神宮の赤福と同じくらい、この土地の古くからの銘菓)お茶券、ソフトクリーム試食券等、沢山の特典の付いたパンフレットも、もらっていますし。

金比羅さんは本殿まで長く長く続く参道の石段が有名です。ここが22段目の踊り場。ここはゆるやかですが、途中から急な坂になり、本殿(御本宮)までは785段。更に奥社までは1365段です。

何故「森の石松」?? 金比羅さんは江戸中期には全国の庶民の間へと信仰が広がり、伊勢神宮へのお陰詣りに次ぐ庶民の憧れでした。そこで歴史上の有名人も沢山参詣しているのです。

東京を出る前に、ある友人から「行きはよいよいだけど帰りの下山は相当膝が笑うから駕籠(かご)に乗った方が良いよ」とアドバイスを受けていたので、私だけは駕籠に。その乗り心地の良さに感動しました。

こんな急な坂道ですもの。

ところが365段目にある大門で降ろされてしまいました。ここより内が境内で、神聖な場所なので「御駕籠禁止」で入れないそうです。(頼む前に教えて欲しいわね~。まだ半分も来ていないのに往復6200円ですよ!)

そんな訳で、ここからは杖をついて歩きます。

「笑顔」で頑張りましょう!

先へサッサと登っていった友人達を捜しながら行くと、475段目で名物の「こんぴら狗ゴン」の像を見つけました。参詣者が皆、頭を撫でるからツルツルに変色しておびんづるさんみたいです(笑)。

アラアラ、重要文化財「表書院」の前で友人達が私を待っていてくれました!

1659年に建立された書院造りの建物。中には円山応挙の90面もの襖絵や伊藤若沖、明治時代の邨田丹陵の源頼朝の富士の裾野の鹿狩りの襖絵等、見応え充分。前庭には松・桜・柳・楓が植えられた鞠懸が設けられて、金刀比羅宮の別当が諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿があります。


円山応挙の襖絵。
上から鶴の間 七賢の間
虎の間
山水の間 上段の間(瀑布=滝)

「旭社」に至る石段から見る境内が美しい。


628段目の「旭社」

建物全体に彫刻が施されている。

「旭社」の側の「神饌殿」。天皇陛下の捧げられた御神饌がありました。

さぁ、ここからが最後の難所の階段を登ると「御本宮」です。

海上交通の守り神として信仰されてきました。

御本宮から登ってきた石段を見下ろすと迫力でしょう? ここから更に1365段の「奥社」までは行く気がしません!

名カメラマンのワンチャンが「南渡殿」あたりを熱心に撮影。

その写真がこれ。

この「神楽殿(かぐらでん)」も。

本殿の脇の高台から眺める「讃岐富士」(飯野山)
も。ワンちゃんは構図が上手ね~♪

私のは芸術写真でなく、観光写真。

讃岐富士は本当に小さい富士山のようでした。

下山して再び大門へ。「五人百姓」と呼ばれる特別に境内での営業を許された5人の女性が、笹屋の黄金色の加美代飴を売っていて、金比羅さんの名物になっています。

飴売りの露店がどうして「五人百姓」と呼ばれるのでしょうね?

大門をくぐって再び参道へ。

お昼時になってお腹も空いたので、無料クーポン券と提携している讃岐うどんの店「てんてこ舞」へ。

ぶっかけから汁うどんまで、種類は豊富。

次から次へのお客さんで、カフェテリアのようにお盆を持って流れ作業です。

店内は江戸時代の情緒を残す、中々風情のあるお店でしたね。天井からのランプが面白いですね。御膳の二段重ねですよ。

私達は汁うどんにかき揚げを載せました。150円追加。

これが汁うどんと揚げたての天ぷら。かき揚げは「なんでもだし醤油」をかけてサックリ頂きました。

次はデザートに灸まんの店へ。昔旅宿だった石段屋で客の疲れを癒す為に据えたお灸が評判になり、そこから出来た名物の饅頭です。

沢山歩いたので甘い物にホッと一息。

灸まんと羊羹のセット。両方ともさすがに長い年月支持されてるだけあってとても美味でした!

参道にはうどんの名所らしく、うどんの達人にしてくれるこんな学校もあって、さる有名人も学んだようですよ。

14:30になったので、いよいよお目当てのこんぴら歌舞伎の「金丸座」へ。

石垣の上に金丸座はあります。

畏れ多くももったいなくも、皇太子殿下御夫妻も過去に御見物にいらしたみたいですね。

これが金丸座の正面。1835年に建てられた、現存する最古の芝居小屋で、2階建て本瓦葺きの堂々とした建物は国の重要文化財に指定されています。

これが側面。

その逆面。

そして木戸。入口ですね。

当時のままの雰囲気の舞台、桟敷席、花道、そして天井には顔見世提灯(役者の家紋提灯で出演者が分かる)等々。私達は花道の左(火箸)、一番外側の6人用の桟敷席でした。(東桟敷5)

階は「前船」と呼ばれる席で、復元された天井は「ぶどう棚」と呼ばれる500本の竹で編まれていて、「紙吹雪」を散らす事が出来ます。

「金比羅大芝居」の看板が、日本最古である誇りを示している様で、「せり」や「廻り舞台」、「奈落」等、演出上の操作は全て地元の保存会の人の手作業で行われています。

天保6年に建てられた金丸座は、当時は全国から多くの参詣客で賑わいを見せていた「こんぴらさん」で年に3回(3月、6月、10月)催される会式の際の最大の楽しみとして、芝居興行がそれまで仮設小屋で行われていたのを、大阪道頓堀の大西芝居を模して常設の許可が下りて建てられました。

しかし時代は移り、近代以降、人々の娯楽の変化で興業は衰退し、廃館のまま小屋は荒廃が進み朽ち果てかけていましたが、地元で保存運動が始まり、国を動かし、昭和47年から4年をかけて現在の場所に移築、復元されて外部構造は耐震になりましたが、内部は天保の時代そのままに甦りました。

「千両役者」とは、天保6年に完成した金丸座の舞台に立った役者の事を言ったそうです。もしかして建設費が千両だったのかしら?

坂東玉三郎が得意とする地唄舞「雪」と「鐘ヶ岬」の美しさに酔いしれ、勇壮な鼓童の「いぶき」に圧倒された芝居見物も終わり、出てくると既に提灯に灯がともり夕方になっていました。

ホテルに帰る途中に、やはり重要文化財に指定されてる「木造」の「琴平町公民館」があったので覗いてみました。

御覧の通り、都会で目にする公民館とは全く風情が異なる建物です。

金比羅歌舞伎上演中は保存会の人達の控え室の役目をしている模様で、まだ開館中でしたから、職員の方が親切に内部を見せて下さいました。天井の造りと言い、ランプ(シャンデリア?)と言い、立派な風格でした。

堂々たる木造の公民館でした。金丸座で案内係をしている「お茶汲み」と呼ばれる着物姿の女性の係の方達が何人も出入りしていました。

ホテルに戻ったのが18:00を過ぎていたので、お風呂を後にして先に夕食のテーブルにつきました。

「ゐきり」と言う炎の滾る様を強調したオープンキッチンのある食堂です。

こちらが前菜の数々。歌舞伎公演中ならではの演出。

こちらが御献立です。
瀬戸内海で獲れる新鮮な魚貝と、炎で炙る和牛のステーキが自慢の御献立。
進肴にさぬきうどんの選べる一品、そして炊き込み御飯がなかなか美味でした。

となると、一献傾けたくなりますよね!

テケと私は下戸なんです。

鯛やスズキのしゃぶしゃぶも出ましたっけ。
お部屋はアップグレードされてベッドと和室の組み合わせで、ゆったりした広さでした。寝具もフカフカで朝までグッスリ眠れました。が、いつもならお部屋の写真も撮るのに、この日はあまりに沢山の写真を撮ったので部屋に戻ったらすっかり気が弛み、撮り忘れました!


かろうじてバッフェの朝食の一部を撮りました。和と洋の豊富なラインアップでした。


翌日の徳島県の旅が続きます。