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2012年3月5日月曜日

また会 「伊勢参り」 その② 内宮



外宮から内宮へは天皇陛下が御参拝の時にお通りになる、灯籠が並ぶ「御幸道路」をタクシーで走ります。約7km、15分の道程です。


陽のある間に内宮に着きました。五十鈴川に架かる宇治橋鳥居の横の縁起の立て札の前で記念撮影。陽のあるうちにお参りしなければなりません。夏は午前4時から、冬は午前5時半に開門です。神様にお参りするのはそれ程に早い方がよろしいのです。そしてどんなに遅くても陽の傾く前の午後3時までには済ませることが御利益を頂く為に必須です。

こちらが宇治橋と外の鳥居です。静けさを期待して来ましたが、初詣の1月ですから、火曜日でも御覧のような人、人、人。橋手前の鳥居は20年ごとに建て替えられる外宮の旧正殿の棟持柱。渡り終えたところにある鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱。そして次の20年遷宮の時、関の追分けと桑名の七里の渡しの鳥居になるので、この2つの宮の正殿の棟持柱は60年のお勤めです。鳥居の高さは7.44m。
昨日の雪がウソのような青空!まぶしいほどです。 

有名な「宇治橋」ですから、沢山記念写真を撮りましょう。 

橋を渡る人混みの中にこんな方を見かけました。

美しい宇治橋の長さは1018m、巾は8.421m。それに16個の擬宝珠(ぎぼし)が乗っています。実はこの橋、来年(2013年)迎える第62回御遷宮の4年前に架け替えられるのがお約束事で、だから3年前に新しくなったばかりなんです!橋板の厚さは15cm。20年間風雨に晒されても1つの狂いも出ない仕上がりです。

橋から眺める清らかな五十鈴川と伊勢神宮の森。この擬宝珠(ぎぼし)の中には3年前新しくなった宇治橋の渡り初めの神事が執り行われて、その時のお札が納められています。 

橋を渡るときれいに手入れされた神苑が続き、玉砂利の道を手水舎へ向かいます。

御参拝の前に手と口を浄めますが、普通の手水含の他に五十鈴川原の御手洗場(みたらいば)があります。徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院の御寄進と言われる、五十鈴川を利用した石段の手洗場です。


鯉の稚魚が沢山居ました。

やがて御正宮へと千古の杉木立がうっそうと繁る玉砂利道を登っていきます。

途中に御饌殿(みけでん)や神楽殿があります。

こちらは神楽殿。

お札やお守りを授ける神札授与所は大忙し!

こちらが御正宮です。

皇大神宮にお務めする庭掃除の方が写真を撮って下さいました。

アップにしてみましょう。

この鳥居の奥にお垣内とも称される幾重にも垣根で囲まれた唯一神明造りの正殿がありますが、撮影は禁止。この石段の下からしかシャッターは切れません。

さて、現在の御正宮の隣に同じ広さの式年遷宮御敷地(しきねんせんぐうみしきち)があります。

式年遷宮とは、20年に一度、内外両方の正宮の正殿を始めとして別宮以下諸神社の正殿も造り替えして神座を遷し、宝殿、鳥居、御垣、御饌殿等、計65棟の殿舎と言った全社殿を造り替えます。その他、714種、1576点の御装束、神宝も新調します。全てを造り替え、その美しさを保ち続け、神宮は「常若」、永遠のみずみずしさを目指しています。コレを定めたのは天武天皇で、持統天皇(690年)に第一回が行われました。以来1300年の長きにわたり続けられ、平成25年に第62回目の式年遷宮で新しい社殿に御神体をお遷り頂く(御神体の渡御)が予定されています。


第62回式年遷宮の準備は平成17年からスタートして、この様に新御敷地では、白布に覆われた中で造営は既に始まっていました。

これは平成5年のもの。私達が遙拝した御正宮が手前で当時は新品だったのです。


この宇治橋もその一環として平成21年に新しく造り替えられました。この橋の右隣に仮橋が造られ、古い橋が解体され、同じ場所に新造されました。内宮は橋を渡るのに右側通行ですが外宮は左側通行なんです。何故でしょうね~?




出口に近く、第2の鳥居の側に御厩があり、中に内宮の神馬がいました。


こちらは空勇号。


宇治山田駅からバスで「神宮徴古館」へ行くと、過去の御装束や神宝等、その匠の技を鑑賞する事が出来るそうです。
平成24年4月には外宮に「遷宮館」が開館予定で、遷宮に関する資料、御正宮の原寸大模型、式年遷宮を映像で見られる遷宮シアターなどが設置されるそうです。








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