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2012年2月23日木曜日

また会 「黒部紀行」 その④ いよいよ黒部ダム

いよいよ北アルプス立山連峰アルペンルートの頂上「室堂」(2450m。実際の立山の頂上は3015m)から後半のルートを黒部ダム目指して下っていきます。室堂から立山の中腹をくり抜いたトンネルの中をトロリーバスで大観峰(2316m)まで行きます。そこから立山ロープウェーで黒部平まで一気に下ります。そして黒部ケーブルカーで黒部湖(1455m)まで。そこからは徒歩でお目当ての黒部ダムまでは15分の道程です。


さぁ、いよいよ絵はがきの様な立山とお別れです。


本物が絵はがきより美しいとは、カメラマンの腕でしょうか? それとも機材のカメラの所為でしょうか(笑)?


昼食で御世話になった室堂山荘。


トロリーバスで着いた「大観峰」


この景色が実際の大観峰のロープウェーの駅から眺める赤岳など、北アルプスの美しい峰々と、その峻険な谷を流れる黒部川です。


季節遅れの黒部紀行でも、沢山のラッキーに巡り会いました。この霧氷で出来た木々のクリスタルを目に出来る人々は滅多に居ないそうです。前日この辺りに雪が降り、しかもその雪が沢山でなく、しかも深夜が気温が低く、翌日は晴天で乾燥してなければ、この自然のクリスタルに逢えないのです!


ホラッ、この美しさ!! 北アルプス観光の最盛期が終わって、観光客もまばらだったから、天然記念物の雷鳥にも会えたし、この樹氷群を目にすることも出来ました。たった一日存在した自然の芸術品です。この時よりもっと気温が前夜に下がれば、沢山の雪が降り積もってしまいます。バスドライバーさんがこの季節で立山に雪が無いのが珍しいと言っていましたし、雷鳥も雪で完全に白い保護色に変身していたら気が付かないのかもしれませんね。


「旅の偶然は宝物!!」


出発時間になり、ロープウェーの改札に並びましたが「宝物」を見た後は気分がおのずとハイテンション!年老いた(?!)「少女達」のハシャギ様に駅員さんも思わずもらい笑い(笑)。


黒部平駅に着きました。ここからケーブルカーに更に5分乗り、黒部湖(1455m)まで行きます。


黒部湖に到着です。黒部ダムの為に造られた北陸地方屈指の人造湖です。


15分歩いて目的地の「黒部ダム」に到着しました。長い間写真だけで眺めてきた、美しい弓なりのカーブを描くダムの堤防です。1956年当時のお金で総工費513億円。建設した関西電力の資本金の5倍でした。作業員の数はのべ人数1000万人、殉職者171人、社運を賭けた、苦難を極めた難工事でした。

黒部ダムのシンボル、弧を描く堤防の真中心で記念写真。「また会」の4人組です。



長さ492mの堤防の中心です。堤高は186mで日本一。総貯水量は2億トン。

一日かけてやっと辿り着いた黒部ダムですから、沢山記念撮影しました。


誰の撮影アングルが上手かしら?等と写し終えたデジカメを互いに見せ合ってお喋りも盛ん。勿論皆、自分の美意識が一番だと思っています(笑)。


ダム全体が見渡せる展望台まで何百段もの階段を登って上がりました。


展望台に上がる途中の踊り場で一時休憩。ここまで上がると、やっとダムのスケールがわかります。


人工湖を船に乗って遊覧も出来ます。


黒部川の水をこの分厚いコンクリートの堤防でせき止めて、高さ110mから毎秒10トン以上の水を一気に下流へ放流します。その水の勢いは岩をも砕くので、そうならない様に放流は霧状にして行われています。


ここが自然の川底です。左側の堤防の壁の放水口からこの川底まで一気に水を落とします。6月下旬から10月中旬までは、観光客の為に時間を決めての放水ショウがありますが、私達は写真だけで想像するしかありません。

幸運にもその放水ショーをカメラに収めることの出来た人の写真を拝借。霧状に溢れるそのスケールを皆様堪能してください。




黒部第二ダムとは全く規模が違う日本一のダム、通称黒部第四ダム(黒部ダム)建設の為、前日トロッコ電車で通ったルートとは別のルートが考え出され、ダム建設の為の資材や人員輸送の為に富山県と長野県の間の山を貫通させて出来た関電トンネルを、長野県側の扇沢まで行くトロリーバスの最終便に私達は乗りました。辺りはもうすっかり夕暮れでした。


トロリーバスはトンネルの中を走ります。一度も外を見る事はありません。


トンネルの途中で「黒部の太陽」の最もドラマチックなシーン、掘削作業中にいきなり大量の水が噴き出して工事を7ヶ月も遅らせる原因となり、多数の死者を出した「破砕帯」を通過したときは感慨無量でした。

扇沢からは長野新幹線に乗り、東京に帰還する為に特急バスに乗り継ぎ、無事あさま548号に間に合いました。スケールの大きい一日の旅でしたが、綿密なスケジュールのお陰で見事踏破して楽しい旅でした。 幹事さん、有難う!!




*** 黒部ダムの豆知識 ***

黒部ダムが建設された場所は、大正時代から黒部川の水量が多く、発電所設置に適した場所として知られていました。しかし、第二次世界大戦等もあり、黒部川の電源開発は下流の第三発電所に留まっていました。戦後の高度経済成長期を迎えると、関西地方の電力不足が問題となり、1956年、関西電力の当時の社長が、戦前調査に着手していたが永らくお蔵入りしていた黒部ダム(第四ダム)建設事業を急遽立ち上げました。費用は当時の関西電力の資本金の5倍にもぼり、同社の社運を賭けた一世一代の大規模プロジェクトでした。

黒部ダム建設工事現場は余りにも奥地で、初期工事は建設資材を徒歩や馬、ヘリコプターで輸送していたので作業ははかどらず、困難を極めていました。そこでダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることにしました。が、これが破砕帯に当たったり、予想外の難工事でした。最新鋭の技術と強い意志の力で、トンネルは貫通し、工期が短縮される結果を生み、1963年竣工しました。

工区を5つに分け、間組、鹿島建設、熊谷組、佐藤工業、大成建設と日本を代表する建設会社が延べ1000万人の作業員を動員し、建設着工時の1956年当時のお金で513億円を投じて造られた、世界的に見ても大規模なダムであり、171人もの犠牲者を出した20世紀を代表する難しいプロジェクトとしてNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」でも紹介され、鉄人28号では黒部ダム建設が人間の手では困難となった事でロボットにより黒部ダム建設が行われるというストーリーまで産みました。

アーチ式コンクリートダムで、認可出力335,000kw。

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